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神倉神社(かみくらじんじゃ)
神倉神社の立地
神倉神社は和歌山県新宮町神倉にある標高80mの神倉山頂上付近に建立されています。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」熊野古道の一部とされており、熊野三山・熊野速玉大社の摂社でもあります。
神倉神社の歴史
神武天皇の東征(とうせい)
神倉神社の歴史は古く日本書紀の伝承によれば神武天皇時代にまで遡ります。
九州を統治していたカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は日本全土を治めるべく東へ向かいました。
神々の神話から天皇の時代へ移り変わる転換期とされる東征物語の始まりです。
河内国(大阪府)と戦う際、日神(ひのかみ)の加護を得るため太陽を背にして戦うべく紀伊の国(和歌山県)へ迂回しこの地を訪れたとされています。
神剣 布都御魂(フツノミタマ)
神倉神社の祭神は神武天皇が東征で紀伊の国を訪れた際、神剣 布都御魂(フツノミタマ)を夢のお告げにより献上した高倉下(たかくらじ)という人物で天香山命(あまのかぐやまのみこと)としても知られています。
神代三剣(かみよさんけん)
神々の夢のお告げによってもたらされた霊験あらたかなこの神剣は神武天皇を勝利へと導きました。
三種の神器・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)、十拳の剣(とつかのつるぎ)と共に「神代三剣」(かみよさんけん)の一振りに数えられています。
御神体ごとびき岩
熊野の神、熊野権現が最初に降臨したとされるごとびき岩。
岩の形状がカエルの形に見えることからごとびき(この地方でガマガエルの意)と呼ばれるようになったとされています。
天磐盾(あめのいわたて)
日本書紀に記された東征の折に神武天皇が上がった天盤盾がごとびき岩であるとする説もあります。
源頼朝寄進の石階段
源頼朝(1147〜1199)は源平合戦を制し征夷大将軍となった、初めて武士の統治による鎌倉幕府を打ち立てた人物です。
神倉神社までの538段の石階段はこの源頼朝が寄進したとされ、他では類を見ないほどの急勾配で組み上げられています。
杖の貸し出しもありますが、帰りは特に要注意です。神社参詣の際は滑らない運動靴をお勧めします。