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80’sの日記に沿ってWordPressでブログを更新していますが、昔の小学5年生も結構多忙です。
時には息を切らして駆け回っていた日々を思い出すのもいいですね。
小学校の全校朝礼|5年生の塾
80’s日記 2月25日(月)晴れ
今日学校で朝礼があった。
○先生から忘れ物のことについてお話しがあって、僕は名札を付けていなかったので前へ出なさいと言われて忘れた人と一緒に出た。
六時間目に社会のテレビを見た。
帰ると炬燵の前に何か丸い物があるので見るとかずちゃんの頭だった。
それからちょっとすると英語があってそれが終わるとエレクトーンに行った。
帰ってご飯を食べた。食べてからかずちゃんが買ってきてくれた(次ページ)お菓子を食べてお風呂に入って寝た。
小学校の全校朝礼
毎週月曜日の朝は全校朝礼から始まり学年クラスごとに運動場に整列し、決まって校長先生のお話がありました。
長かっただの退屈だの眠たくなっただのと朝礼あるあるのように皆いつも評していましたが、時には心にグッとくる話もありました。
例えば?と聞かれると困りますが、こういった不自由さも子供の教育には必要なことだと今になっては思います。
この日は特に忘れ物に対しての注意があったようですね。
この時ぱぴりす名札を忘れており、忘れ組は列の最前に集められ注意された為、以後少しの間はこのような抜き打ちチェックを警戒して忘れ物に気をつけるようになったと記憶しています。
間を飛ばして6時間目の社会。
今となっては画面小さめ奥行きデカめのブラウン管テレビ1台で、NHKの社会科教育番組を皆で見て感想を言い合うような授業でした。
スキンヘッドの叔父
帰ると連日の小学生相手に疲れも出たのか、叔父がコタツで昼寝でもしてた様です。
当時(現代も)叔父は我々丸刈り丸坊主頭軍団の上をいく所謂スキンヘッドで、丸い物という描写になったのかと推測できます。
英語とエレクトーンの習い事
それから自宅での英語教室を終え、自転車で町内のエレクトーン教室に向かってます。
エレクトーンの先生は綺麗でお若い独身の女性で、ご自宅の一室で教室をされていました。
よく自宅の英語教室が終わると友達と遊びに行き、若干サボりがちでしたが優しく根気よく指導していただきました。
日もまだ長くない2月に6時間授業から習い事のハシゴ。
帰りの長い登り坂を何時頃、自転車で立ちこぎしていたのかと心配になります。
夕飯後にはまたしても叔父が買ってくれたお菓子を食したようですね。
叔父が四国へ帰宅
夢のような数日でしたが、翌日学校から帰宅すると叔父は四国に帰っており「 なんだかシーンとしていた 」日記にはそう表現されています。
こうした小さな出会いと別れを重ねて子供は大人になっていくんですね。
さて何とか目標1週間ブログ継続は達成できそうです。今日はこの辺で・・・