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戦国武将 徳川家康の浜松城
徳川家康築城の出世城
浜松城は織田信長と同盟関係にあった元亀元年(1570)に徳川家康によって築城されました。
隣国で勢力を誇った戦国時代の雄武田信玄の備えであったこの城で、家康は29歳から駿府城に移る45歳までを過ごします。
家康だけでなく後にこの地を収めた大名達もみな江戸幕府の老中など要職に就いたことから、別名「出世城」と呼ばれるようになりました。
浜松城公園へのアクセス
現在天守閣があるこの場所は浜松城公園となっています。
【住所】
〒430-0946 静岡県浜松市中区元城町100−2
【浜松城公園駐車場】220台
90分無料、以降30分¥100
【電車・バス】
東海道新幹線 浜松駅〜遠鉄バス8分
市役所南下車 徒歩6分
天守閣・天守門
現在の天守閣は昭和33年、天守閣の東にある天守門は平成26年に建てられました。
天守の3Fが展望階、B1F、1F、2Fは浜松城にまつわる展示室になっており、1Fではちょっとしたオリジナルグッズを販売する売店もあります。
【開館時間】8:30〜16:30
【入場料】高校生以上¥200 中学生以下無料
【休館日】12月29日・30日・31日
徳川家康の甲冑
天守閣の中には複製ですが徳川家康の鎧も展示されています。
徳川家康が使用した有名な黄金の具足と歯朶の具足は重要文化財として現存しており、静岡県久能山東照宮博物館が所蔵しています。
徳川家康公像
公園を見守る家康公像の手には鎧兜の前立てにも採用された歯朶(シダ)の葉が握られています。
勝利の象徴であったシダが家康公のお気に入りだったのでしょうか。
三方原の合戦
元亀3年(1572)、徳川家康は強敵武田信玄の侵攻を阻止すべく浜松城より攻め掛かります。
結果は燦々たる敗北、当時の超ビッグネーム武田信玄に完膚なきまでに打ちのめされ、命からがら浜松城に逃げ帰ったとされています。
武田軍の強さを知る織田信長が、浜松城を捨て岡崎城へ移るように勧めた所、家康は断固として従わず、命懸けで武士としての意地と誇りを示したと伝わります。
浜松城の周辺
元城町東照宮(引間城跡)
徳川家康が永禄11年(1568)に入城するまで引間(ひくま)城は今川家重臣の居城でした。
家康の入城後、に城地を引間城を取り込む形で拡大し名を浜松と改めました。
現在の浜松城から700m、徒歩9分の場所にあります。
東照宮の創建は明治19年(1886)です。
豊臣秀吉も訪れたと伝わり、二人の天下人の所縁の場所として「出世神社」とも呼ばれています。
どうする家康 浜松 大河ドラマ館
2023年現在のNHK大河ドラマは徳川家康が主役の「どうする家康」です。
大河ドラマにちなんで徳川家康にゆかりのある地域では普段より一層の盛り上がりを見せており、ここ浜松市でも「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」が絶賛開館中です。
館内には大河ドラマで使用されたセットや衣装、小道具などが展示されています。
【住所】浜松市中区元城町102-1(浜松城そば)
【開館時間】10時〜18時(最終入場17時半)
浜松大河ドラマ館は2024年(令和6年)の1月14日(日)まで開催しています。