5年生の日記|昭和の小学校生活|放課後の習字教室での事件

80’s日記

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ブログ投稿3日目です。

ワードプレスでブログ開設するにあたり、パソコンを新調したり初心者向けの記事を読んだり関連本を購入したりしました。

今まで通りガッツリ形から入ったぱぴりすでしたが、ブログはとにかく何とか更新する事これにに尽きると思います。子供の柔軟さを見習わなくてはです。

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80年代の日記|小学5年生11歳の日常

80’s 日記 2月21日

今日は集会があった。集会でゲームをした。集会が終わると1、2時間目理科だったので、すぐ理科室へ行った。
5、6時間目に図工があった。石のような物に彫っていって顔などを作るのである。彫っている時カスが目に入ってとても痛かった。
帰ってから○君と遊んだ。遊び終わってすぐ習字に行った。
習字が終わって帰ってご飯を食べた。食べ終わると英語を習っている人が作ったクッキーを食べた。とても美味しかった。そして将棋をしてお風呂に入って寝た。

小学5年生の学校生活

この日の学校は朝礼スタートにゲームのおまけもあった様です。紅白旗振りゲーム(赤上げないで白下げない♪)の旗無しバージョン風だったと記憶しています。

1、2時間目は理科。集会からの理科移動教室、すぐという表現にに慌ただしさを感じます。

5、6時間目は大好きだった図工。レンガブロック大の石膏の塊を彫刻刀で削って形作るという課題でした。

石のような物に彫っていって顔などを作るのである。未来の彫刻家か文豪の如き一文ですが直後に目をやられヘコんでいます。

私は「 伏せをした北海道の木彫り熊 」みたいなイメージで彫り始めていました。

放課後の塾 習字教室での事件

習字の先生は同じ町内のご自宅で教室をされており、上品で当然字も美しい奥様でした。

私はこの教室で○んちんが半ズボンのチャックに挟まり、痛みで二進も三進もいかなくなり先生を困らせた経験があります。

当時は周りを笑わせる事に全集中する日々のぱぴりす少年でしたが、流石にこれは痛くも恥ずかしい事件でありました。

書道教室では毛筆と硬筆を学び、名前と段位が掲載される会報のような小冊子がありました。
当時もっと真剣に書道に取り組んでおけば、もう少し綺麗な字が書けたことでしょう。

帰宅後 就寝まで

英語を習っている人が作ったクッキー
自宅で母が英語教室をしており、スイーツ作りの好きな生徒さんが時々作ったお菓子を持って来てくれることがありました。
当時からお菓子大好き人間だったぱぴりすは結構嬉しかったのを覚えています。

将棋は父の趣味で正にスパルタ教育でした。
ハンデで多くの主力駒なし(駒落ち)の父親にどうしても勝てず、不用意な一手を打つと叱られたりと毎回緊張感の漂う対局でした。

悔しい思いをしながらも忙しい父との時間は楽しく、小学校で4年生から始まるクラブも選んだのは将棋でした。

あとがき 

生徒数の減少傾向

確か当時は1クラス30数人が5クラスあり、5年生だけで160人位いた計算になります。1年生から6年生まで合わせると結構な生徒数ですね。

ウチの子達も同じ小学校に通い、その存続が危ぶまれながら現在の全生徒数は200人程だと聞きます。

ブログ3日目まとめ

さて今日はこの辺で勘弁しましょうか。
短い何気ない日記にも文字数の何倍もの思い出や書きたい事が詰まっている物ですね。

しばらく飽きるまで続けてみたいと思います。